現代の優生思想を事例から考える

知的障害

前回、優生思想に気づいてしまったマンゴーの話をしたんだけど、今回は現代の問題として起きていることを見ていきながら考えることにするよ🤔

前回の記事

自分の中の優生思想と闘って抜けた…
自分に差別意識がないと思い込んでいた過去「優生思想」についての問題を考えることになったきっかけを書く。私は、人を差別しているつもりはなかったのに、過去に自分を自分で差別というか、卑下していた時期があった。「役に立た...

優生思想とは

「優れた遺伝子を持つ人が増え、劣った遺伝子を持つ人が減るべきだ」という考え方。これが差別や不公平な扱いにつながることがあり、現代では問題視されている。

また、障がい者を介助する人やサポートする立場の人が、不満を持ち、極端な「優生思想」を持つ場合もある。

障がい者差別意識

障がい者差別意識とは、障がいを持つ人々に対して偏見や不平等な扱いをする考え方や態度のこと。無能だと決めつけたり、社会での役割や価値を低く見積もったりすることが含まれる。差別意識は、障がい者に社会的な孤立や不平等を引き起こす原因となっている。

相模原障害者施設殺傷事件

Wikipedia

相模原障害者施設殺傷事件 - Wikipedia

NHKの記事

事件を見つめて|19のいのち 障害者殺傷事件 NHK
事件に向き合い、立ち向かおうとする人々の声を紹介しています。

じんぶんどうの記事

「やまゆり園障害者殺傷事件」の背景にあるもの 渡辺一史『なぜ人と人は支え合うのか』より|じんぶん堂
2016年夏、相模原市にある障害者施設で19人が刺殺され、27人が重軽傷を負った。社会を震撼させた事件の背景に何があったか。『なぜ人と人は支え合うのか』より、そのあらまし、考える手がかりを追う一節を紹介します。

相模原障害者施設殺傷事件は2016年夏、相模原市にある障害者施設で19人が刺殺され、27人が重軽傷を負った事件のこと。

事件前に、元職員だった男性が、殺害予告とも思われるような手紙を書いた。衆議院議長公邸を訪れて渡したところ、警察から「他人に危害を及ぼす恐れがある」と判断された。勤務するやまゆり園を辞職することになると同時に、相模原市内の精神科病院に緊急措置入院させられた。退院後には、市役所の生活保護の窓口を訪れ、「預貯金が底をついてしまった。働いていないので生活できない」と訴えて、生活保護を受給していた。

という経緯が加害者にある。

支援する側の1つの意見

手紙の中にあった言葉を抜粋

常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。

真面目に仕事をしていたからこそ、保護者や施設職員の苦労が身に染みて分かったのだと思う。また、正直、働いても高い税金・年金を納めなければならない。日常生活で苦労をしていたと推測する。他人事だと思えなかったからこその行動だと感じた。

現代の若者もネットの世界でやってる

筆者マンゴーは障がい関係のSNSをよく見るが、「優生思想」と思えるようなコメントをよく見る。

実際にYouTubeのコメント欄を読んでみてほしい。

YouTube
作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有
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「生きる意味が無い命」「支援する側が苦労する」「英雄だ」などの意見が多い。

また現代の日本が抱える「財政難」の影響で、高い税金を払っている現状。

頑張って働いても、引かれる税金。

反対に、働いていない障がい者たち。

意思疎通がうまくいかないことや、暴力を振るわれることもある環境。

自分を犠牲にして助ける意味はあるのだろうか?と思い始める人も多いのだと思う。

それって障がい者だけじゃないよね?

障がい者だけではなく、お年寄りを年金で支える、介護をする。お年寄りの数に対して、若者の数が少ない。これまた負担。

多様な生き方が認められる時代になったこと。

結婚しなくても、女の人も稼げる時代になった。

LGBTQなど様々な性が認められやすくなった。

このような背景から体は子どもを産めるが、結婚、出産をしない人も増えている。

「障がい者は生きる価値のない命」

「出産しない女は生産性のない行き遅れババア」

「男なのにそんな格好して気持ち悪い」

「障がい者が出産するなんて、不幸を増やすだけだ」

「独身税あればいいのに」

こんなこと平気でSNSのコメント欄に書く人がいる。多様性が認められているからこそ、大袈裟に顔と名前出して言うことが出来ないから、ネットの世界で悪口が溢れている。

確かに「社会の役に立つ人間」を産んで育てるということが「自分が楽できる」ということに繋がるのかもしれない。

自分を犠牲にしてまで、知らない人の面倒は見れない。という気持ちからくる本心なのかもしれない。

人類の発展と考えると!?

前述した「社会の役に立つ人間」を産んで育てるということが「自分が楽できる」ということに繋がっているのかもしれない。ということだが、それは個人の目先のことだけであって…

人類の発展という観点から見れば、多様性のある人々を排除することは人間の絶滅に繋がると考える。強い人間が弱い人間を排除しても、排除した中でまた新しく弱い者が生まれる。そうするとその新しく生まれた弱い者を排除しようとすることが繰り返される。その結果、同じような遺伝子ばかりが残ると生物のヒトとして弱くなる。生き残れる遺伝子がなければ、病気になって絶滅する可能性もある。人数が減っていればなおさらだ。

そもそも時代の問題

その時代に合っていないと生きづらいと思う。その時代の大多数に合わせて社会が作られているから。平均以下だと劣等感を持つ人が多い。それでも、生きているだけで誰かに何かの影響は与えている。健常者だけが障がい者に与えているばかりではない。障がい者と接することで何かしらの気づきがあって、自分自身も勉強になったり感動することも多い。

だが、もちろん支援する側の苦労があることも理解できる。一人一人の負担が大きすぎるからだ。

・福祉系の給料が上がる。

・福祉系の職業で働く人が増える。

・税金を下げる。

など、一人一人の負担が重すぎることによって、自分以外の人を助けようとは思えなくなるという要因がある。自分に余裕が無ければ他人に対して思いやりも持てないし、助けたいなんて思えないだろう。

国が何とかしてくんないかなあ。

障がいの有無関係なく幸せに暮らせる人が増えてほしい。

自分が苦労している状況で、重荷になっているものがあれば、排除したくなる。その心理を抱える人の多さに気づいた。国が何とかして、そういう人が減る対策をしてほしいね。

今回は重い内容だったが、次回も比較的社会問題となっていることを取り上げる。私がもう1つ抱えた「優生思想」家族編を書こうと思っている✏️

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