自己実現とか自己表現って、聞こえはキラキラしてるけど、
正直、生活の基盤が整ってないとしんどい。
・生活動線の安定(家事が苦手過ぎる)
・お金の心配がないこと(仕事続かないなど)
・応援してくれる人の存在(仲間とか)
このあたりがあって、やっと「やりたい!」に力を注げる気がする。
もちろん、中には「反骨精神」で突っ走れる人もいる。
周りに反対されても、貧乏でも「やってやる!」と燃えるタイプ。
でも私は逆で、不安があるとクリエイティブな感覚が湧いてこないタイプ。
やる気が出ないというより、その前に「生活や環境をどうにかしたい」という欲求が頭を占拠してしまう。
気になることがあると、何も湧いてこないし自己表現に辿り着けない。
マズロー的に言うと
心理学者マズローの欲求段階説では、
「食べる・寝る(生理的欲求)」や「安心(安全欲求)」が満たされて、
人とのつながりや承認を経て、最後に自己実現があるって言われてる。

マズローの欲求段階説は、人間の欲求を 「下から順に満たしていかないと、上の段階には進みにくい」 という考え方。
ざっくり段階は5つ:
①生理的欲求:食べる・寝る・呼吸など生きるために必要なこと
②安全の欲求:安心できる住まいや環境、健康など
③社会的欲求(愛と所属の欲求):家族・友人・仲間とのつながり
④承認の欲求:他人から認められたい、自尊心を満たしたい
⑤自己実現の欲求:自分らしく生きたい、やりたいことをやる
→ 下の段階が満たされてないと、上の「自己実現」には集中しにくいよ、ってこと。
私はこの“下の階層”が揺らいでたから、自己表現に辿り着けなかった。
でも今は少しずつ安心が戻ってきて、ようやく「表現したい!」に向かえてる気がする。
イメージが先、行動は後
私は「考えるのが先」のタイプで、イメージできないと創造にいけない。
だから行動力よりも、余裕とかイメージの方が大事になる。
実はこれほど私は行動力はなくて、イメージ先行型の後から体がついていくタイプ。
私の自己表現のプロセス
① 精神的に健康で、余計なことを考えられる余白を残す
② 妄想やイメージで頭をいっぱいにする(ADHDの正常)
③ それを形にするために実際に行動する
④ 失敗しても試行錯誤して形にする
この流れを踏んで、やっと表現ができると思う。
ダンスも当てはまる
私が、今後回しになっていることの中にダンスがある。
「ダンスしたい!」って気持ちがあって精神的に不安やと何も降りてこない時期に、あえてダンスバトルに出てた。これは、外に出ない私にならないためにやってただけであって、自己表現とは別だった気もする。
脳が疲れてたら、練習どころか踊る気力も出ないけど、それでも出続けてたリハビリだったのかも。
それが、少し落ち着いた時期があって、「もうバトル出ないんですか?」って聞かれたとき、
「自分のダンスに満足できてなくて、練習もできてないから出たくない」って答えた。
イメージではやりたいことがあるのに、
生活や気分が不安定だと練習が続かなくて、無理やり体を動かすだけになってしまう。
心がない踊りを人に見せるのは、自分的に「偽物」っぽくて嫌になる。
身体表現はナマモノだから、その瞬間に心が乗ってないと意味がない。
これは理想が高いだけかもしれんけど、私にとっては大事なこだわりであることに気づいて、外に出れるようになったから、一旦偽物のダンスをすることを辞めた。ただそれだけ。
最近やっと生活の土台が整ってきて余計なことを考える余裕が出てきた。
「そろそろ踊るか〜」と思えるくらいの余裕がある。余裕があると勝手にイメージとか降りてくるから、体がそれを形にしたいと思えてる段階。
私の場合、やっているうちに楽しくなる。やってるうちにやりたいことが見える。動いてれば楽しい!ってのがあまり当てはまらない。
脳の構造的に…
楽しいが頭に溢れてから行動に移すというか、頭から溢れるから体にそのまま出るみたいな感じ。脳がADHD過ぎるので、毎日練習するとか続かないしそれでいいと思ってる。
多分、その時の波とかイメージの爆発で生きてる。笑
私には過集中っていう武器があって、集中したら短時間で辿り着けるからそれでいい。
あとはクオリティを爆上げするための分析も好きだから、理想まで持っていく自閉症のこだわり特性もある。分析と研究大好き。
だから毎日コツコツ練習とか、ちゃんとバトル出るとか、全部辞めることにした!!!
イメージの爆発で生きることにした。真面目にコツコツ上を目指すとか、有名になるとか、勝ち上がるとか興味ない!!!(笑)
「優勝したからバトル出ない」のではない。自己表現が伴わないから、結果的に出てない。イメージが溢れだしたら出るかもね。

